美輪明宏(みわあきひろ)【歌手】
美輪明宏(みわあきひろ)は1935年生まれ・長崎県出身の歌手です。
経歴・人物
- 1935年5月15日に長崎県長崎市本石灰町で誕生し、父を寺田作市、母をムメとする家庭の次男にあたる。生まれたときの名は寺田臣吾であった。
- 4歳のとき、母方の家を継ぐ者としてきょうだいの中から選ばれて丸山家の養子となり、丸山臣吾と名乗るようになった。
- 実家はカフェーや料亭などを経営しており、比較的豊かな環境で育った。
- 1945年8月9日、10歳で長崎への原爆投下に遭遇した。終戦を迎えた日には爆心地に近い場所へ祖父母を捜しに向かい、その悲惨な光景に直面した。
- 原爆により父の貸付先が破産・死去して一家は貧乏生活を余儀なくされ、後妻の死去なども重なり苦しい少年時代を送った。
- オペラ歌手などを志して1951年の春に国立音楽高等学校への進学を目指して東京へ移り、その頃に丸山明宏という芸名を名乗るようになった。
- 父と争った末に縁を切られて仕送りも止まり、国立音高をやめて、進駐軍のキャンプを巡りながら歌い、プロとしての歩みを始めた。
- 1952年頃、シャンソンを歌ったことから橘薫らと知り合い、原孝太郎に師事した。
- 1956年頃にシャンソン喫茶「銀巴里」と専属歌手の契約を結び、国籍も年齢も性別も明かさない形で売り出された。
- 1957年、日本語詞で歌った「メケ・メケ」が一気に評判となり、「シスターボーイ」などと呼ばれて時代を席巻した。
- 1963年には中村八大らの支えを得て自作のみで構成したリサイタルを実現し、翌1964年に「ヨイトマケの唄」を舞台で初めて歌った。
- 1966年、「ヨイトマケの唄」が音盤としてリリースされて脚光を浴び、ふたたび人気が高まった。
- 1967年、寺山修司による劇団天井桟敷の旗揚げ公演で『青森県のせむし男』と『毛皮のマリー』の主役を務めた。
- 江戸川乱歩を原作とし三島由紀夫が脚本を手がけた『黒蜥蜴』の主演をはじめ舞台や映画、ドラマで幅広く活動し、1968年には自伝『紫の履歴書』を世に出した。
- 1970年からおよそ25年間にわたってTBSラジオの「ラジオ身の上相談」を受け持った。
- 1971年、三島由紀夫を弔う読経の最中に思いついた名を姓名判断と照らし合わせた結果、丸山明宏から美輪明宏へと改名し、歌手としての活動に力を注いだ。
- 1978年頃から慢性気管支炎などを抱えて体調を崩し、1985年の『大典礼』を区切りに、1993年まで舞台に立たない時期が続いた。
- 1990年、長年歌い続けた銀巴里の閉店に際し、自作の『いとしの銀巴里』を涙ながらに歌い上げた。
- 1993年、持病が癒えたことで24年ぶりに『黒蜥蜴』を上演し直し、主演に加え演出・美術・衣装・選曲も自ら手がけた。
- 1997年、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』でモロの君を声で演じ、東京スポーツ映画大賞の助演男優賞に輝いた。
- 同じ年、『双頭の鷲』の再演により読売演劇大賞の優秀賞を獲得した。
- 2004年、宮崎駿監督のアニメ映画『ハウルの動く城』で荒れ地の魔女の声を演じた。
- 2005年、テレビ番組『オーラの泉』に「愛の伝道師」の肩書きで出演した。
- 2012年の第63回NHK紅白歌合戦に初出場し、77歳での初出場は同番組における最高齢初出場の記録となった。
- 2015年の紅白歌合戦出場で、史上初の80代での出場を果たした。
- 2018年に東京都名誉都民、2022年に世田谷区名誉区民として顕彰された。
- 2019年9月に軽度の脳梗塞で入院したものの、およそ2か月で仕事へと戻った。
- 2022年に第73回NHK放送文化賞、2025年に第60回紀伊國屋演劇賞の特別賞を手にした。
- 2026年6月20日、老衰のため91歳で死去した。
公式サイト・SNS
「美輪」という名字の有名人
美輪咲月(みわさつき)
女優/1999年4月11日生まれ
美輪明宏(みわあきひろ)
シンガーソングライター/1935年5月15日生まれ/長崎県長崎市出身
※本名ではない方(芸名やペンネームなど)も含みます。
「美輪明宏」と同学年の有名人
※同学年(同級生にあたる世代)は1935年4月2日〜1936年4月1日生まれで判定しています。誕生日が不明の人物は生年のみで判定しています。
